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アスリートから見たオリンピックデザイン

山口 香[筑波大学体育系准教授、女子柔道の日本での第一人者]

スポーツは、人間の可能性を見せてくれる
この中にはスポーツがうまくできず、コンプレックスをもっていらっしゃる方もいらっしゃると思いますが、私にとっては美術がそれで、いくらがんばっても3以上の成績をもらったことがありません(笑)。けれどスポーツと美術は似ているところもあって、「発想力」が重要ですね。スポーツも技を編み出す発想力がなければダメで、イメージできないとうまくもなれないし、一流の選手にはなれません。これはきっと、芸術やデザインも同じではないでしょうか。
近年の国際オリンピック委員会(IOC)では、オリンピック・パラリンピックの価値を、「Excellence(卓越性)」、「Friendship(友愛)」、「Respect(尊重)」の3つのキーワードで表現し、これに準じてオリンピック教育も行われています。今日はこの3つを柱に、アスリートから見たオリンピックのデザインを考えてみたいと思います。
オリンピックは世界最高のパフォーマンスを見せる場であり、創出する場です。オリンピックという場だからこそ生まれるパフォーマンスがあるし、それを世界中の人たちと共有できる瞬間でもある。私が考えるスポーツの魅力は、そうした人間の可能性を見せてくれるところにあります。

男子陸上のウサイン・ボルト選手は、100mを10秒以下で走り抜けます。つまり10mに1秒かかっていない。ほとんど飛んでいます(笑)。それを人間がやっている。人間って、鍛えればここまでできるのか、だったらもっとできるんじゃないか、と思わせてくれる。それがスポーツの魅力なのです。

スポーツにとって必要なデザインとは?
私は柔道の選手ですが、残念なことに柔道着には流行もなく、ほとんど変わることもありません。しかしユニフォームのデザインは、選手たちに大きな影響を与えるものです。それはまず「機能性」ですね。温度の調節、筋肉がより良く動く収縮性など、最近はどんどん機能性が高くなっています。
また、とくに女子選手にとっては、「見せたい」という思いをかなえてくれるのがユニフォームのデザインです。女子の陸上選手のユニフォームはおヘソが見えていますね。肌の露出が大きいのですが、彼女たちはそうしたユニフォームを着たいと言います。これは単なる機能性ではなく、鍛えた肉体を見てもらいたいという、彼女たちの想いの表れです。
ロンドン大会では、バドミントンの女子選手のユニフォームがスカートであることの是非が物議をかもしましたが、物理的な機能性だけではなく、気持ちを高揚させるという機能も、ユニフォームのデザインにはあると思います。

アスリートにとってはオンとオフの切り替えが非常に大切で、大会期間は2週間ですし、その前の合宿から数えると、オリンピックは、じつは非常に長期間にわたります。ですからそこには、ストレスを軽減するデザインも必要です。
たとえば交通渋滞。とくに東京の地下鉄のわかりにくさは、日本人の私でさえストレスを感じます。選手たちは、選手村から公共交通機関を使って会場に行くこともあるでしょう。そんなストレスも適切に軽減されれば、選手たちが本番で発揮できる力も変わってくると思います。
私がコーチとして随行した2000年のシドニー大会では、有名なオペラハウスの近くにはバーやレストランがあり、選手やお客さんたちの誰もが気軽に集まれる場所がありました。しかし日本には、意外にそうした場所がないように思います。選手がストレスを発散できるデザイン。これも、2020年の東京オリンピックでは、ぜひ考えてほしいことの一つです。

スポーツを楽しむためのデザインも必要
選手がパフォーマンスを発揮するには、応援も重要です。会場全体の盛り上がりや一体感が、選手に、普段にはない力を与える可能性もあります。たとえばテニスのウィンブルドン選手権では「ストロベリー&クリーム」が名物になっていますが、会場には、そうした飲食の楽しみがあってもいいのではないでしょうか。飲んだり食べたりしながらスポーツを楽しみ、そして大きな声援を送ってもらいたい。
ところが、日本のスポーツ施設のほとんどは飲食が禁止です。海外では、スタジアムを囲むテントでビールが飲めたり、土地の名物が食べられたりと、コミュニティーや一体感が生まれる場づくりがなされていて、選手たちも伸び伸びとその力が発揮できるようです。世界をお出迎えするにあたって、日本にも考えていただきたい点ですね。
海外の大会では、ビリヤード場やゲームセンターが用意された選手村もあって、そういう場所に人が集まった結果、友情ばかりではなく愛が芽生えることもあります。そんなフレンドシップが、自然に育まれる環境であることも大切です。
そしてそこではリスペクト、つまり多様性を認め、尊重する態度も必要ですね。日本の女子選手の競技力はあがっています。けれども世界には、まだ女性が自由にスポーツできない国がたくさんあることも事実です。女性は髪を出してはいけないとする文化もあります。異なる文化や風習、歴史をもった人たちをどのように「おもてなし」するのか、これもオリンピックで考えなければいけないことです。

こうしたことをすべてハードで整備することは難しいかもしれません。そこで重要なのは「心のバリアフリー」ではないでしょうか。相手の立場に立ってどういうデザインをするのかを考えていく必要があると思います。
元日本サッカー協会理事で、IOCの名誉委員でもある岡野俊一郎さんが、世界大会を招致することは世界に窓を開くことだとおっしゃったことに、私は非常に感銘を受けました。窓を開いて、世界の注目を浴びる日本が、それにどう応えていくのか。私は前回の東京オリンピックの年に生まれましたが、あのオリンピックは、50年後の日本、未来の日本をデザインしたのだと思います。であるならば、私たちは2020年のオリンピックに、50年先、100年先の日本を見据えていく必要があるのだと思います。