かつて、オリンピックには「芸術競技」があった
今日の「2020」を、僕は「フレーフレー」と読みたいと思います。
普段は日本画というジャンルで絵を描いています。美術はデザインに対して少しアウェーな感じがしますので、ミューズ(美の女神)の力を借りて美術とデザインを近づけたい、そういう思いでこのタイトルをつけました。
これまでにサッカーをモチーフとして、その面白さやスポーツの不思議な力を描こうとした幅3.6m、ちょうどサッカーゴールの半分ほどの幅のある大きな絵や、「なでしこジャパン」の佐々木則夫監督が筑波大学を来訪された際に記念としてお贈りしたなでしこの花の絵など、スポーツに関連する作品も多く描いてきました。
これは大学の授業で話をしてもほとんどの学生が知らないのですが、昔、オリンピックにはクーベルタンの提唱による「芸術競技」というものがありました。スポーツが肉体に関することであれば、精神に関することは芸術であると考え、近代オリンピックではこの両者を一緒にやろうということにしたのです。正式種目として絵画、彫刻、文学、建築、音楽が設定され、優秀者には金・銀・銅のメダルも与えられています。
1912年の第5回ストックホルム大会から、戦時下の中断を挟んで7回にわたって行われ、32年と36年には日本も参加しました。36年のベルリン大会では、日本画家の藤田隆治が「氷上ホッケー」という作品で、鈴木朱雀が水彩画の「古典的競馬」で、それぞれ絵画部門の銅メダルを獲得しています。
芸術家たちも参加していたオリンピック
第16回のメルボルン大会以降はメダル授与をやめて芸術展示に変わり、現在は文化プログラムとして続いています。
オリンピックが話題になっても、芸術競技や文化プログラムまではなかなか言及されませんが、後年弟子によって再現された藤田さんの受賞作品を見ると、当時アイスホッケーに使った道具や、ヘルメットをかぶっていない姿が描かれていて、スポーツ史的な興味も湧きます。
また1936年の彫刻部門では、長谷川義起が力士の彫像を出品していますし、大会の選手名簿には東山魁夷、版画の棟方志功といった非常に活躍した美術家の名前も見えます。ただ不思議なことに、東山魁夷の履歴にはオリンピック参加の記述がまったく見られません。
さらに1932年のロサンゼルス大会には、体操選手として角田不二夫という人が出場していますが、この人の肩書きは「画家」となっています。日本体操連盟の資料で追跡してみると、角田は27歳で亡くなっているのですが、雑誌『朝日スポーツ』の表紙などを描いていた人のようです。同じこのロサンゼルス大会には、ほかにも作家となった田中英光が早稲田大学の学生時代にボード競技の選手として参加しており、のちにロサンゼルスに向かう船の中で出会った女子選手への恋心を描いた『オリンポスの果実』という文学作品を書いています。
2020年に向けて活性化する文化イベント
2020年の東京オリンピックには文化プログラムとして、若手芸術家を中心に、高齢者や障害者も一緒に創造する「TOKYO2020フェスティバル・オブ・アーツ・アンド・カルチャー」や「アーツ・フォー・オリンピズム・ユース・クリエーション・プログラム」が盛り込まれています。前回のロンドン大会の文化プログラムが非常に成功をおさめましたので、それに続こうという機運も高まっています。
美術領域のわれわれとしては、なかなかプロデュース力もありませんから作品での参加が多くなると思いますが、なるべく積極的に関わっていきたいと考えています。
筑波大学関連では、2000年のシドニー大会の文化プログラムで日本代表の作品に選ばれた学生もいますし、本年度から私が理事を務める「日本スポーツ芸術協会」は、日本オリンピック委員会(JOC)にも加盟している団体で、「全国スポーツ写真コンクール」、「子ども絵画コンテスト」、「ジュニア作文オリンピック」などのイベントを常時行っています。
最近では「全国スポーツ写真コンクール」が開催され、私も初めて審査員を務めましたが、17歳の高校生から80歳くらいの方まで非常に幅広い年齢層から作品が寄せられ、とても面白いものでした。また「ジュニア作文オリンピック」は、作文という一見スポーツとは関連が薄い催しにも見えますが、分野を超えたイベントとして有意義であると思います。
2020年までの6年間、日本スポーツ芸術協会としてどこまでできるかわかりませんが、さまざまなイベントを通して力を発揮できればいいなと考えています。