ホーム » Vol.3 » 映像学科

東京ばんざい

映像学科(今井 新、畑 雄樹)

6年後、東京は日本の「中心」ではない?
東京は日本の政治・経済、文化すべての中心であり、1964(昭和39)年の東京オリンピックは、昭和30年代の高度成長期の成果を海外に発信する絶好の機会となりました。
しかし現在、そして6年後の日本において、東京はほんとうにすべての日本の中心といえるのでしょうか?
今、もっとも移り変わりの激しい映像メディア産業は、むしろ東京以外の地方に開発拠点をもっています。デジタルが主流となった映像メディアはどこでも開発できますから、地価や人件費など諸経費の高い東京より、地方にあることに利点があります。できた作品は、データとして簡単に送信することができます。
また、2013年公開の映画「ウルフ・オブ・ウォールストリート」などでも80年代のアメリカがVFX(ヴィジュアル・エフェクツ)で再現されるなど、グリーンバックに映像を合成すれば、低予算で、そこが宇宙にも中世のヨーロッパにもなる時代です。

2020年は日本のターニングポイント
今、東京オリンピックが開催された日本の昭和30年代が「古き良き時代」として神話化され、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」などでも幾度となく反復されています。しかしそれは美化された過去であり、当時の公害などの問題は無視されています。
オリンピックは開催国がもつ歴史を、いったん区切るものとして機能しているのではないでしょうか。その意味で2020年が、日本のひとつのターニングポイントになることは間違いありません。かつての「高度成長社会」は「ビッグデータ社会」に更新され、2020年東京オリンピックは、情報技術大国・日本を象徴する一大イベントとなるかもしれません。そしてその2020年オリンピックでさえ、「古き良き時代」と回想される時代がくるでしょう。

ポケットの中で始まる新たな映像革命
その2020年東京オリンピックだからこそ、映像メディアができること、それは逆転の発想です。つまり東京に集まった多くの人々の力を借りて、ひとつの作品をつくりあげれば良いのです。
かつてカリフォルニア大学で、家庭にあるゲーム機をクラウド化してスーパーコンピュータ化する計画がありました。個人のゲーム機が少しずつ計算すれば、全体で膨大な量の計算が可能となります。これを「分散コンピューティング」といいます。2020年、東京のスタジアムに世界中の人が訪れたなら、その人数分のスマートフォンがそこにあり、それを利用すれば、人々が競技に熱中している間に膨大な計算ができることになります。
たとえば、スマートフォンで撮られた数多くのオリンピック関連の動画を集めて編集することができれば、東京にいる不特定多数の人々が参加するひとつの映像ドキュメンタリー作品ができあがります。オリンピックに集まる人々のポケットの中で、新たな映像革命が花開くのです。