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河北秀也[アートディレクター/東京藝術大学 美術学部デザイン科 教授]

それは1964年のオリンピックから始まった
1964年に東京でオリンピックが開催された時、僕は高校生でした。そこで初めて知ったのですが、亀倉雄策さんという方がポスターをつくっていて、それがとても衝撃的でした。
こういう仕事をするにはどうしたらいいのか調べると、デザイナーになればいいとわかりました。当時は、グラフィックデザイナーが商業デザイナーと呼ばれていたような時代です。で、僕はその道に進んだのですが、きっかけは、まさにそのオリンピックのポスターだったわけです。もう50年も前のことです。
当時日本は高度成長で、経済もどんどん伸びていった時代でした。オリンピックにあわせて高速道路や新幹線ができ、急速に都市が整備されていきました。それはそれでよかった面もあります。だけども、失くしたものもたくさんあります。

文化を忘れてきた日本の経済成長
みなさんは日本の国家方針をご存知でしょうか。「産業重点国家をつくる」、です。日本と同じように第二次大戦に敗れたドイツは「豊かな国は国家の財産である」で、日本とはぜんぜん違います。日本は、文化のことなどまったく意識していません。行政に携わる人たちも、文化のことはさっぱりわからないと言う。日本は、非常に速い速度で戦後の経済復興を遂げてきましたが、そのために、文化のことはころっと忘れてきてしまった。
僕は1980年代に、京都の祇園の写真を使ったポスターをつくりました。電柱と電線のある現実の風景と、画像処理でそれを取り去った町並みを比較して見せた、意見広告です。日本の電柱と電線はほんとうに汚くて、こんな国は他にありません。前回オリンピックを開催したロンドンには、100パーセント電柱がありません。日本には情けないくらい電柱があって、歩いていても気持ちが非常にガサガサとしてしまう。もう暴力としか言いようがありません。それが日本の現状です。

オリンピックを機に、文化の国へ
また僕は、日本的な美しい風景の写真を使った、麦焼酎「いいちこ」のポスターを、約30年間つくり続けてきました。けれどそのほとんどは、海外で撮影したものです。もちろん外国に行きたいから、ということもありますが(笑)、日本らしい風景は、もう日本にはないのです。日本的な風景を撮るために、毎回、海外に出かけなければならない。約160年前にペリーが来航した時に、こんな美しい国はないと言った日本は、経済優先の国づくりのためにめちゃくちゃになってしまった。
ですから僕が望むのは、このオリンピックを機に、前回のような経済優先ではなくて、ほんとうに暮しやすい豊かな国をめざすことです。先進国の中で、日本ほど自国の文化を教えない国はない。今こそ日本は、文化の国へと大きく舵を切る時なのです。