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宮田亮平

藤崎圭一郎[デザインジャーナリスト/東京藝術大学 美術学部デザイン科 准教授]

東京のインフラを考えるためのインフラの必要性
今日のみなさんのお話には、ある共通した思いが込められていたように思いました。それは、単純に目先のデザインを良くしたい、オリンピックをイベントとして成功させたいということではなく、私たちが住む東京をこれからどのようにしていくのか、オリンピックを契機として考え、文化的な意識に立脚した、新しいインフラストラクチュアをつくっていきたいという思いです。
1964年の東京オリンピックの悪しき象徴が、みなさんが言及されていた、日本橋の上に首都高速道が通るというインフラのあり方です。私たちはまず、未来のインフラを構築するためのインフラづくりから、考え始めなければならないのかもしれません。

東京オリンピックから世界へ羽ばたいた福田繁雄
東京藝術大学の卒業生であり、80年代にはデザイン科で教鞭をとられていた福田繁雄さんは、オリンピック当時32歳でした。デザインの総合的なディレクションをされた勝見勝さんの下、田中一光さんたち若いデザイナーとともに迎賓館に集まって、ピクトグラムを制作しています。
さらに70年の万博では公式ポスターを手がけるとともに、一人で会場のピクトグラムを制作し、そこで培われたスキルやノウハウは、1975年の代表作「VICTORY」などに発揮されることとなりました。その後福田さんは世界的なグラフィックデザイナーとして、長く第一線で活躍されています。

2020年東京オリンピックには若い力を
1964年の東京オリンピック当時には、年長の亀倉雄策さんでさえ40代後半で、みんな若かった。もちろん当時はデザインの草創期で、まだ上の世代がほとんどいなかったという事情もあったことでしょう。
2020年の東京オリンピック、さらには未来の東京のデザインを考える時、私個人としては、できるだけ若い人たちに参加してほしいと思っています。
もちろん64年に若いデザイナーたちが結集した時とは、時代も状況も異なっています。しかし、だからこそ年配のわれわれは意識的に黒子に徹して、アンダー40くらいの若い人たちがそこで十分に腕をふるい、世界へと羽ばたいていくためのインフラをつくってあげるべきなのではないでしょうか。
そのためにも、私たちはそのインフラをつくるためのインフラづくりを、今きちんと考えることが大切なのではないか、今日のみなさんの提言を聞いて、その感慨を新たにいたしました。