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山中敏正[感性デザイン研究者]

東京が日本全国のデザインのお手本になる
日本のデザインの総力を結集して、今回のオリンピックに対する事業をやっていこう。その呼びかけに、デザイン学をやっている立場から私は加わりました。

前回のオリンピック開催が決まったのは1959年です。5年前というのは今よりも遅いのですが、私たちはまさに、そのときと同じタイミングにいます。
東京はその当時、都市化していました。一方で、地方はまだテレビもないような状況です。東京でオリンピックをやったことによって、東京は日本のお手本になった。日本全国が東京をお手本として意識する、オリンピックを通じてそういう街に成長したのです。
2020年に向けてわれわれが行う活動というのは、もう一度東京が日本全国のお手本になる、もう一度日本のデザインのスタンダードを東京から発信する、ということです。その使命感を持って、われわれデザインに関わる人間たちが取り組むべき話だと思っています。そういう話をすることになったこと自体が、面白い現象です。

7年後と決まった瞬間、われわれは非常にクリアにいろんなものを描けます。以前、経済産業省から「30年後の社会のロードマップを描く」という仕事をいただいたことがあるのですが、それでは焦点がなかなか絞れません。でも、7年先だと焦点が絞れるのです。ここでつくったものが、50年後にどう私たちの生活を支えるか。そういう意識でやっていければと考えます。

オリンピックは芸術祭
オリンピックは第5回大会のとき、「芸術オリンピック」をやることが決まり、芸術家に対して、金、銀、銅のメダルを贈呈しました。それが1948年のロンドン大会で廃止されるのですが、そのときオリンピック憲章に「オリンピックを芸術祭にする」と書かれました。スポーツと文化の祭典であると同時に、芸術も加わった。違うフェーズの情報が付加されたのです。

デザインを研究するということ
もう1つ。1960年代に、日本デザイン学会は何をやったのかを調べました。しかし、オリンピックに関する研究が、何1つ記録に残っていないんです。これではいけません。
デザインが、そこにあるから研究する。
1960年に、勝見勝さんが『デザイン学研究』という本に書かれた言葉です。
デザインがそこにある以上、私たちはそれを研究します。研究によってデザインを残し、デザインの価値を測定し、それを固定する。そういう作業をやっていきます。