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永井一史

永井一史[アートディレクター]

東京オリンピックのシンボルになったマーク
ここにある赤い丸は、皆さんもお分かりの通り「日の丸」です。この丸を「コロンブスの卵」の発想で大胆にトリミングして、1964年に亀倉雄策さんは、東京オリンピックのマークをつくりました。それはデザイン史、オリンピック史上に残る傑作であると同時に、多くの国民に愛された、まさしく東京オリンピックのシンボルになったマークです。
そのマークが愛されたのは、デザインが優れただけだったからでしょうか。そうは思いません。日本が戦後の焼け野原から立ち上がり、経済成長の入口で国民ひとりひとりが次の日本のかたちを構想し、共有し、それに向かう高揚感があった時代。それが大胆なトリミングに繋がって愛されたのではないか、と思います。

開催の意味は次の日本のかたちを考えること
次のオリンピックのデザインを考えたときに大事なのは、次の日本のかたちを考えることではないでしょうか。
今、オリンピックの開催が決まり、人々が7年後の自分はどうなっているのだろう、7年後の風景はどう変わっていくのだろうと思っています。長い間のデフレや政治の混乱、東日本大震災など、なかなか前を向けないことが続きました。その中で、未来を考える、前を見つめられる大きなきっかけが与えられたのだと思います。
さまざまな困難がある中で、国民ひとりひとりが未来に向け、前を向いて考えていく。次の国のかたちを考えていく。その大きなきっかけこそが、オリンピックが日本で開かれる最大の意味ではないでしょうか。

1964年のオリンピックは、経済成長の扉としての役割を果たしました。2020年のオリンピックは、高齢化や成熟化を迎えた社会、社会学者の広井良典さんが言われる「定常型社会」への扉にするべきではないかと考えます。

オリンピックは次の日本のビジョンを生み出す機会
東日本大震災の復興を世界に示すのは当然だとしても、例えば、再生可能エネルギーを大胆に取り込んで日本全体に広げていくのも良いでしょう。
パラリンピックを契機に、ソーシャル・インクルージョン、いろんな立場の人たちが協力しあい、助けあい、さまざまに暮らしいい社会をつくっていく動きを進めても良いかもしれません。
東京という都市の競争力を上げていくのも大事ですが、同時に、地域の資源を再発見し、日本全体として豊かな国をつくっていくことも大切です。
オリンピックが日本にもたらす活気、成功させようという気運があります。それを、オリンピックの中だけに閉じず、その先の国のかたちを考える大きな運動として広げていく。いわば、オリンピックの外側のデザインがとても重要ではないでしょうか。
こういった話は、オリンピックがなくても当然、考えなくてはいけない重要なことです。ただし、2020年というタイムラインが引かれたことで、自覚的に、大胆に進めていく動きが生まれればいいと考えています。

日本のビジョンを生み出す機会と捉え、そのビジョンを新しい日本のかたちにしていくこと。そのビジョンをつくることが、オリンピックや日本だけでなく、世界に対してできる、デザインの最大の貢献なのだと思います。